まえがき
 1945年8月6日、広島市は人類史上最初の核兵器の惨禍を蒙りました。
 核兵器はその後、量的にも増大し、質的にも高度化し、人類の生存その
ものを脅かしています。
 この危機に対して、世界に軍縮を求める世論が高まり、核軍縮に向け実
質的な歩みが始まりました。
 しかし、今なお、多数の核兵器が蓄積されており、核兵器保有国が増加
するおそれもあり、私たちはより一層、核兵器の廃絶と世界恒久平和確立
への努力を強めなければなりません。
 この写真集は、広島に投下された原子爆弾による惨禍を記録したもので
あります。
 この小柵子により、世界の人々が核兵器の恐ろしさと平和の尊さについ
て、御理解を深めていただくことを念願してやみません。
(財)広島平和文化センター会長 平岡 敬

 1945年8月6日に広島の上空で炸裂した1発の原子爆弾は、人類が核
時代へ突入したことを告げる恐るべき幕開けを象徴するものであり、戦争
によって人類は自滅するであろうことを警告し、戦争が平和かの二者択一
の重大な問題に直面させるものであった。

 以来、核時代に生きなければならない地球上の総ての人間にとって、ヒ
ロシマの体験は、常に人類生存への戒めであり、平和への原点であること
を意味する。

 われわれは、このようにヒロシマが持つ偉大な歴史的意義を深く認識し、
戦争にそそがれる人間の努力を人類共同社会の福祉の創造に生かし、世界
恒久平和の確立に向って全知能を結集しなければならない。


「8時15分-原子爆弾投下。43秒後にセン光衝撃で機体傾。……巨大な原子雲」
「9時-雲が見える。高さ1万2千メートル以上」-原爆投下機エノラ・ゲイの
乗員の1人が記したあの瞬間の航空日誌である。

 真夏の太陽を受けて不気味に光る“巨大な原子雲”の下に、核時代の原点と
なったヒロシマがある。暗い影を落としながら、北西に向かって広がるキノコ
雲。“黒い雨”を呼んだあの雲。30万とも40万ともいわれる広島市民のうめ
き声が、キノコ雲の下にある。

 広島原爆投下作戦に参加したB29 3機のうちの1機から撮影した広島のキ
ノコ雲。瀬戸の海と白い海岸線をみせる島々。この写真からは、被爆者の助け
を求める声は聞こえない。作戦を終えて帰途につく勝利者の目。あくまでも冷
静な目。